【第121回 2019.1.9】

「信頼」ということ

投稿者:河添 勲(工学部電気工学科 昭和59年卒)

 昨今、モノづくりに定評があるはずの日本企業で、データの改ざんやねつ造、嘘偽りの報告などの報道が目立つようになった。信頼や信用は、長年積み重ねて得るものだが、ややもすると一瞬で失うことがある。


 そして、いったん失った信頼や信用は長い時間を経ないと取り戻すことはできない。信用を失なうと疑いの目が向けられるからだ。次に何を言っても信じてもらうことが難しくなる。

 

 本当にこういう報道がなされるのは、にわかに信じがたい。成熟した日本の製造業は、精度を高めて品質の高い製品を作ることが得意だったはずだ。こういう報道が目立つようになったのは大変残念だと思う。

 

 ところで、私は趣味でパソコンを自作するが、それぞれのパーツ(部品)に付いているスペック(仕様)をよく確認しないと、パーツは購入できない。パーツは同じ種類でも規格が異なることがあり、組み立てたもののパソコンが動かないということもある。

 

 きちんと動かすためには、スペックが頼みの綱なのである。データの改ざん、ねつ造は、このスペックそのものが偽りだということだ。スペックを信頼して組み立てたのに、パソコンが動かなかった、ということになりかねない。

 

 また、ある調査によれば、職場、運動チーム、家族など、さまざまな人間関係で周囲の人に最も望む特性は何かと尋ねたところ、答えは一貫して「信頼性」だった、という。

 

 要するに、モノづくりでも人間関係でも「信頼」が重要なのだ。今一度、「信頼」を考え直すことは大切なことではないだろうか。 単に、ある会社がデータを改ざんして「信頼」を失った、ということではなく、ひとりひとりが「信頼」を失うようなことをしていないかどうか、が問われているように思えてならない。


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