【第79回 2015.06.10】

鈴木安蔵先生の思い出

投稿者:福岡 厚(昭和34年静岡大学文理学部法経学科卒業)

 私は昭和34年(1959)静岡大学文理学部法経学科を卒業し、東京都庁及び新宿区役所において40年間地方行政に従事し、平成10年(1998)退職した。住居は東京西郊の八王子市にある。同市は人口58万人の中核市であり、また市内に21の大学を擁する学園都市である。
 退職後、再び学問を続けたいとの思いが強まった。幸い自宅から徒歩30分の距離に東京都立大学(現在は「首都大学東京」と改名)があり、科目等履修生という制度があることを知り、平成14年度から二度目の学生生活を始め、現在14年目を迎えている。
法律政治学を専攻していたので、当初は憲法の再学習から、法哲学、法思想史,法制史、政治史等を学習していたが、次第に哲学,史学、西洋古典学と範囲が広がり、近年は少人数の演習で、『古事記』からホメロス、ウェルギリウス等東西の古典にも取り組んでいる。

 

 そんな中で、折に触れて静大時代の恩師を思い出すことも多い。今回は御遺族ともお付き合いのある鈴木安蔵先生(憲法、政治学)について記してみたい。
 憲法改正に関し、「憲法の定める国民主権、恒久の平和の念願、基本的人権の尊重といった事項は、この憲法自体のよってもって存在する最も基本的な原理であって、これらの原理が合憲的な改正の対象となるということは、法理上、また条理上考ええないことである。日本国憲法の定める憲法改正は、憲法の廃止あるいは根本的変革ではない。みずからの廃止ないし停止を定める改正、あるいはみずからの根本精神を廃止する改正のごとき自殺行為をなしうることは考ええない。それは憲法の認める合憲的な改正とは言いえない。それは憲法の廃止、破壊、あるいは革命である。」(『憲法概論』・1953年)と強調されていることを今も肝に銘じている。
 戦後、「憲法研究会」において鈴木先生の起草した憲法草案をGHQが高く評価したことは知る人ぞ知るところである。2004年8月7日、先生の郷里福島県小高町浮舟文化会館において開催された鈴木安蔵先生生誕百年記念シンポジウム「鈴木安蔵先生から受け継ぐもの」に池田順次先輩(文理経済1)とともに参加し、鈴木先生の思い出について報告したことは忘れ難い出来事であった。方今、安保法制の論議の高まる中、改めて鈴木先生の存在の重さを感じている


  

リレーエッセイへのコメントを募集しています。詳しくはこちらをご覧ください。

▲このページのトップへ