【第133回 2020.02.03】

もう涙は、いらない

投稿者:伊藤 敦志(昭和57年 教育学部 小学校教員養成課程卒/心理・教育専攻)

 アナログ時代に育った私が、デジタル文化に出会ったのは、就職してまもなくである。PCは、何でもできる魔法の箱だった。その後もデジタル技術の進歩と普及は著しく、今や、スマートフォン、タブレット等での通信や情報収集は、当たり前の世の中になった。

 さて、静岡大学を卒業して、小学校の教員となり、初めて担任した3年生の子どもたちとは、4年生以降も部活動(野球)で繋がりをもち、6年生の夏の大会で全市優勝を果たしたという嬉しくも、懐かしい、よき思い出がある。その後の彼らの進路も生活も時が重ねられるたびに疎遠となり分からなくなったが、彼らの卒業から30年が過ぎた頃、もの珍しさからアカウントを作成したFacebookによって、私は偶然にも一人の教え子との再会を果たした。遠隔地にいながらリアルタイムにアップされてくる彼の情報から、草野球チームで未だに野球を続けていること、バッティングフォームの悪い癖が抜けていないこと、酒好きなこと、40歳半ばにしてオートバイに乗り始めたことなどが手に取るように分かる。

 彼とのSNSによる交流を続ける中で、様々な人の支えがあってこそ、自分が生きてこられたということが語られたときに、私は、こんな言葉をもらった。

 「因みに、泣き虫の私が泣かないように頑張れたのは、先生のおかげなんです。3年生の漢字テストでなかなか合格できない級があって…、何回かでやっと合格したときの先生のコメントが『頑張れば何でもできる、もう涙はいらない』でした。思い切り泣いてから、泣き虫を卒業しようと決心できました。イビられてもポジティブに前を向けたのは先生のおかげなんです。あそこで前を向けなかったら…、先生には本当に感謝しています。」と。

 二度と会うことも話すこともできなかったかもしれない彼とのSNSでの再会は、たとえ新米であれ教師として発する言葉のもつ意味の大きさに改めてふれることになった。

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