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学長メッセージ令和元年度静岡大学卒業生・修了生の皆様へ

2020.03.19

令和元年度静岡大学卒業生・修了生の皆様へ

令和元年度静岡大学学位記授与式で学長が述べる予定であった式辞を掲載します。

また、以下のURLから、卒業生・修了生の皆様に向けた学長からのメッセージをご覧いただけます。

静岡大学テレビジョンhttps://sutv.shizuoka.ac.jp/

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 令和元年度の卒業生、修了生として学部1,871名、大学院修士課程558名、大学院博士後期課程24名、専門職学位課程24名の方々に学位記を授与致します。

 卒業生、修了生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。ここに、静岡大学教職員を代表して、お祝いを申し上げます。卒業生・修了生の今日のこの日を心待ちにしてこられた、ご家族・保護者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。

 さて、皆さんは1964年に続く2回目の東京オリンピック・パラリンピックを迎えるこの記念すべき年に、それぞれが選んだ新たな道を歩み始めることになります。コロナ・ウイルスの世界的蔓延という不確定要素を抱えてはいますが、世界各国からスポーツに関心を持つ多くの人々が日本を訪れ、様々な新たな交流が生まれることから得るものが極めて大きいことは間違いありません。しかし他方で未だに日本各地に深い爪痕を残す自然災害や原発事故による被害や世界各地で頻発する戦乱に苦しむ人々、安住の地を求めてあてどもない旅を続ける難民たち、拡大する経済的格差の下で取り残されている社会的弱者などの姿を思えば、世界的なイベントへの熱狂の裏面に隠された厳しい現実にも注意を払わなければなりません。環境保護運動のシンボル的存在となっているスウェーデンのグレタ・トゥンベリさんに見られるように、我々旧い世代とは異なって、現代の世界に生きる新しい世代には、個人的な狭い利害を越えた地球規模での環境保全や社会全体の幸福の実現に大きな価値を置こうとするはっきりとした傾向があるように思われます。未来を担う皆さんが是非このような健全な正義の感覚を生涯に渡って忘れることなく、それに基づく責任ある行動を取ることを通じて人類が直面している様々な課題を克服し、不幸な人々に手を差し伸べてくださることを心から期待しています。

 このように現代社会において正しく生きようとする人々にとって最も難しい問題の一つは、何が正義であり、何が真実であるかを明確に見極めることが極めて困難な時代に我々が生きているということです。フェイク・ニュースという言葉がすっかり定着し、巧妙な画像加工が簡単にできる今、テレビの画面やネット上の動画を通じて我々が自分の目で確かに「見た」と信じているものにこそ最も簡単に騙されやすいというのが実情であり、「百聞は一見にしかず」という「見る」ことの重要性を強調する言葉もすっかり信用を失ってしまっています。4年前にアメリカ合衆国大統領としてトランプ氏を選出した選挙の過程についても様々な疑惑が指摘されていることは皆さんもよくご存知でしょう。コロナ・ウイルスの流行についても、様々な画像や動画を伴った文字通り「見てきたような嘘」がインターネット上でバラ撒かれてもいます。

 しかし歴史を遡れば、このような「現実」に根拠を持たない「イメージ」が多くの人々を欺くという事態は決して新しい出来事ではありません。例えばおよそ30年前に起こった「湾岸戦争」においても、人の命を奪うことなく戦車や弾薬庫といった軍事的目標だけを正確に破壊するアメリカ軍を主力とするいわゆる「有志連合」側の爆撃機による「精密爆撃(Precision Bombing)」の画像が世界中のテレビで実況中継され「死者のないきれいな戦争」という「イメージ」が振り撒かれました。またイラク軍側が意図的に破壊した製油施設から流れ出した油にまみれて身動きが取れなくなっているとされた水鳥の画像も「環境破壊をもたらす悪の権化」というイラクの「イメージ」を広めることに貢献しました。しかし現実には「有志連合」側の爆撃で10万人以上のイラク人が命を失い、また油まみれの水鳥の画像も戦争とはまったく無関係なものであったことが、後で検証されています。「有志連合」の側に正義があるという世界中の人々の判断にこのような「イメージ」が大きな役割を果たしたことは明らかですが、それは実際には「現実」に根拠を持たないフェイク・ニュースに過ぎなかったのです。

 フランスの思想家ボードリアールは、湾岸戦争前後に新聞に発表したいくつかの論文をまとめて後に『湾岸戦争は起こらなかった』という奇妙な表題の著書を出しましたが、ここで彼が強調したかったのは、圧倒的な影響力を持った「イメージ」としての湾岸戦争に比べれば、「現実」としての湾岸戦争はほとんど起こらなかったに等しいという逆説的な真実でした。彼はこのような事態を我々にとってのリアリティーの「ディズニーランド化」に他ならないと述べています。例えば大部分の人々にとって、熱帯地域のジャングルとは「現実」に存在するアフリカの風景であるよりもまず、ディズニーランドのアトラクションの一つである「ジャングル・クルーズ」の船から見る森の中を流れるワニやカバの潜む危険な川の「イメージ」の方なのであり、このような「本物よりも本物らしい偽物」、彼の言葉で言えば「ハイパーリアリティ」に取り囲まれているのが現代という時代の特徴だというわけです。

 しかしこのような「現実」と「イメージ」の逆転という現代ではありふれた状態に絶望する必要はまったくありません。なぜなら現代社会においては、同時に真実と虚偽との、あるいは正義と悪との間に明確な境界線を引こうとする「批評」という営みがジャーナリズムやインターネット、大学をはじめとする教育・研究機関において絶えず行われているからです。「批評=critique」という言葉は、語源的にも「分ける」「区別する」という意味を持っていることからも分かる通り、世の中に流通している様々な主張のなかで、何が「現実」に即した根拠ある主張であり、何が単なる「イメージ」に踊らされた不確かなものに過ぎないのかを区別し、多くの人に知らせようとする行為を指しています。この「批評」ないし「批判」という営みは、近代市民社会の成立とそれに基礎を置く民主主義制度の確立と共に歴史に登場しました。一人ひとりの市民が平等な条件の下で自らの政治的意思を表明することによって運営される社会においては、市民に正しい知識や情報が与えられているか否かが決定的な意味を持ちます。新聞や雑誌が政治・文化・社会の広い分野に渡る「批評」的記事を提供すること、公開の討論の場で様々な立場からの意見が交わされていること、学校や研究機関等で正しい知識の教育や新たな真理の探究が絶えず行われていること、つまりより一般的に言えば「批評」を通じて正しいものと正しくないものの間に境界線を引き、両者を明確に「区別」しようという試みが常に続けられていることが民主主義社会成立の不可欠の条件なのです。

 民主主義社会への転換以前には、王や貴族、教会といった絶対的な政治的ないし宗教的権力が存在し、そのような権力に対する「批評」は著しく制限されていました。例えば『旧約聖書』の「人間は神の似姿=Image of God」であるという記述は、神こそが真の「現実」であり人間はその「イメージ」に過ぎないという思想を背景としていますが、かなり時代が下った19世紀においてもなお、ドイツの哲学者フォイエルバッハが『キリスト教の本質』という著書で、聖書の教えとは逆に人間こそが「現実」であり、神の方が人間が思い描く「イメージ」に過ぎないのだと主張した時、彼は大学の教師という職から追われることになりました。しかし今日では昨年フランシスコ教皇が来日の際に残された平和への祈りや貧困に苦しむ人々への心配りなどに関わる数々の暖かいお言葉に象徴されるように、キリスト教の教会もその多くは、もっぱら個々人の心に語りかける信仰の領域に自らを限定しており、権力や権威によって「批評」を圧殺しようとはしていません。もちろん、今もなおいくつかの独裁的な政治体制や宗教的権威の下にある国家では「批評」の自由が認められておらず、民主主義を支える社会的基盤が確立されていませんが、我が国を含む圧倒的に多数の国や地域においては、健全な「批評」精神に支えられた民主主義が制度としてしっかりと定着しています。まただからこそ、フェイクニュースに対しては様々なチャンネルを通じたファクトチェックが行われ、情報の隠蔽や歪曲はジャーナリズムや公開の討論の場で厳しい「批判」にさらされているのです。先に紹介したようにかつて「湾岸戦争」について振りまかれた「イメージ」の多くが「現実」的根拠を欠くものでしかなかったことが後の検証によって明らかにされたのも、我々を取り巻くリアリティの「ディズニーランド化」が全体的には進んでいる一方で、真実と虚偽とを「区別」し、そのような「批評」を通じた一人ひとりの正しい判断を保証し、民主主義を機能させようとする力強い運動が多くの人々によって支えられていることを示しています。

 若い世代の皆さんにとっての重要な情報源となっているインターネット上の世界は、一方では、2010年以降アラブ諸国における独裁政権の打倒を生んだ「フェイスブック革命」と呼ばれる若者主導の大きな社会運動に見られるように、開かれた場での「批評」の可能性を飛躍的に向上させ、それに基づく民主化運動を強力に後押ししました。しかし他方で、同じ意見や感覚を共有する仲間うちだけの「心地よい同質性」からなる閉じた小空間を大量に作り出し、「批評」を受けつけない「内輪の論理」に閉じ籠ろうとする態度を生み、多様な意見が交換されることによってはじめて成立する民主主義的な意思決定に背を向ける傾向を助長したのもこの同じインターネット空間でした。

 皆さんが今後責任ある一市民として社会の民主主義的な運営に貢献するためには、正しいことと正しくないことの間の、真理と虚偽との間の「区別」を常に明確にする「批評」に対して開かれた姿勢を常に守り、発展させていかなければなりません。最後に、学長として引き続き静岡大学が真理探求に基づく研究・教育の場として、社会における「批評」活動の核の一つであり続けることをお誓いすると同時に、新しい世代の皆さんが、「現実」に根拠を持たない誤った「イメージ」に欺かれることなく、未来に向かって一歩一歩前進して下さることを心から願って、私からのご挨拶と致します。


静岡大学長 石井 潔


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