【第120回 2018.11.12】

子供は大人の親である

投稿者:佐野 敬祥(教育学部数学科 昭和44年卒)

 大学では、数学が主専攻で、音楽は副専攻だったが、主専攻の人たちと同じように単位を取得したので、4年間、授業は毎時間のようにびっしり埋められていた。数学が好きになったのは、小学校4年生のときだった。担任の先生に、算数の応用問題を何日かけても自分の力で解くように言われ、一週間近くかけて解いたとき、満足感と自信のようなものが芽生えた。その後、自ら進んで色々な応用問題に取り組んだ。それ以降、数学が得意で好きになった。音楽が好きになったのは、小学校2年生の頃である。母親が蓄音機でかけてくれたヨハン・シュトラウスのレコードを聴いて、浮き浮きした記憶がある。母親は、音楽が好きで、よく愛唱歌集を一緒に歌わされたものである。「子供は大人の親である」というイギリスの諺があるように、子供の頃の体験が、大人に繋がっているように思う。父親には、よく畑仕事、大工仕事を手伝わされた。母親には、夕食や正月の料理作りを手伝わされた。私は、今、自宅の畑で30種類位の野菜を作っている。また、最近は、酒のつまみのレシピ集を作り、楽しんでいる。これらも子供の頃の体験が今に生きている。学校や家庭での教えや体験等大人になってからの生活の基盤になっていることは確かである。
 ところで、数学の教育実習は附属静岡中学校で行った。指導教官から「教える授業」ではなく、「子供自らが考え、解決する授業」を指導していただいた。そのために、「学習の課題」や「発問」(主発問、ゆさぶる発問等)に、こだわって学んだように記憶している。そのことが、その後の数学教師としての指導の原点になっている。
 今、人生を回想し、改めて学校や家庭の教育の重要性を感じている。子供は大人になってからのことは考えないで学ぶ。それは未経験のことだから。経験者の大人が子供の意欲や体験を大事にし、立派な大人になるように育てていく責任があると思うこの頃である。


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