【第132回 2020.01.06】

自分の大学受験、静岡が第二の故郷となった訳

投稿者:田中伸一(昭和54年 人文学部 経済学科卒)

 私の時代の静岡大学は、大谷にキャンパスが移ってきたばかりで、大谷街道から大学への道は、雨が降ると川のようになる舗装されていない砂利道でした。それに下宿は、畑をつぶして建てたプレハブアパートでした。

 静大の入学試験は国立大学二期校の時代で、入試時期は3月春の彼岸でした。出身高校の同級生は、教育系大学を受験する者以外は、浪人するか大学の行き先がきまっていた昭和50年のことです。私は東京出身ですので、静岡大学は、静岡市内の商人宿に泊まって受験しました。入試会場は北街道沿いにあった高校でした。前日には、下見を兼ねて、宿屋から高校まで歩くと、ほぼ道は真っすぐで思っていたより早く、受験案内にあったバスに乗らなくても歩いて30分ほどで着けたことで、落ち着いた状況になり、それまでの入試前日とは違うなと思いました。それまでの入試会場は、自宅から通える私大から一期校まで、全て受験校の大学キャンパスでした。それに大学入試の前日は、雪が降って、入試会場の下見ができないほか、大学までの時間が読めなく余裕もなかったり、初めての大学の階段教室での受験で、変に気が焦って、試験に興奮して、思った結果が出せない状況でした。

 静大入試日は大相撲3月場所開催中で、宿屋のテレビでは、初代貴乃花が北の湖との優勝決定戦に勝って13勝2敗で初優勝を飾って、場内では観客がかつてないほどに興奮して座布団を投げていたことを覚えています。それまで、大関に昇進後、人気があってもなかなか優勝のできない貴乃花が優勝したことで、自分にとっても、今までの入試とは状況が変わっているなと思いました。それに前夜に宿屋で見た漢文の問題集に出ていた同じフレーズが出題されたり、地理の問題でも読んだばかりの地誌が出たり、静大の入試は、自分にとって今までとは違う風が吹いていました。

 これが静岡で4年間、大学生活を送ることができたきっかけで、第二の故郷となった訳です。

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